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むかしむかし、大学院をやめた話。

日記

こんにちは、波乗りトミーです。

 自己紹介にも少し記載してありますが、私は大学院を入りなおしています。
 理由は、建築を勉強したくて大学院に合格したものの、レベル高くてダメだったこと、希望していない研究室に入ってしまったこと、です。学部に入りなおすか、夜間学校とかで始めるべきだったんでしょう。

 私は当時の心境をブログに綴っており、実はこの記事だけ定期的に読んでくださる方がいらっしゃいます。成功者の裏では、同じような境遇にあるような人や、悩んでいる人がたくさんいるのでしょうか。成功体験の記事を見かけることは多いのですが、こういった失敗談ってあまり見かけないような気がします。
「おれはこんな失敗しちまったぜ!」とか明るく共有できるようになればいいし、
「こんなことやらかしてる人がいるなら俺はまだまだ大丈夫だな」って安心できれば、
何か人のためになっているのかなぁと私自身思います。
 私もいろいろな方の失敗談を聞いてみたいです。

そんな人たちに向けて将来の不安を解消することができるのは、もしかしたら株式投資であったり、FIREかもしれませんね。

タイトルは「波乗りトミーさん、大学院やめるってよ」です。
こちらに転載しましたので、よろしければ読んでみてください。(笑)

波乗りトミーさん、大学院やめるってよ。

とむさん、A大学大学院を退学します。

今年2016年4月に入学して早々、大学院をやめることに決めました。今年また大学院を受験します。

ことの経緯は2015年3月に始まります。

B大学土木科に在籍していたわたしは、就活や大学院進学の選択の中である疑問がうかんでいました。

 「自分が将来何をしたいのか?」

この問題に対する解答は建築学科へ進学することでした。学部時は部活第一だったために特に考えなかったことですが、建築を学んでみたいという思いは大学に入学してから少しずつ膨らんでいきました。自分でものを作ってみたいという思いは昔から変わらないようです。今思えば、高校生のときもプロダクトデザインを学びたいと言っていたきがします。(美大は親に止められました(笑)。)どうせならやりたいことをやってみようと意気込んでの進路選択でした。土木があまり好きではなかったこと、また部活を引退してからの学生生活で、新たに人生の目標を作ろうとしたことも理由の一つです。

さて、一度決まればひたすら突き進むことができる性格のわたしは、とにかく勉強と情報収集の繰り返し。大学院で他学科へ進学するようなひとはそこらへんを探してもあまりいないでしょう。合格できるかどうかの不安は不思議とありませんでした。なにより土木の勉強が嫌いだった自分が、建築の勉強を楽しく夢中でやっていました。院試について、詳しくは別の機会にいろいろ書こうと思います。

結果はA大学合格に終わりました。他大学の他学科に進学することになったわけです。やる気と高揚感に満ちたまま入学を迎えました。

設計を学びたい!

そういう思いを持って門を叩きましたが、そうは問屋が卸さない(笑)。大学院の設計授業はもはや実務と等しく、座学を叩きこんだだけでは全く力が及ばないという状況になるのはみてとれました。なにより、設計を4年間必死で学んできている同期生たちの勢いに気圧されました。結局、設計の授業の履修をやめました。(なによりも作品提出する手段として、ソフトの使い方を全く知りませんでした。なくてもなんとかなるとは思いますが、完成度の高いものを見せるには必要でしょう。)

また、配属された研究室の雰囲気に自分が全くついていけないと感じてしまったことも、やめる要因の一つなのは間違いないでしょう。大学院生ですから、何かしらの研究テーマをもとに最終的には論文を提出するのが通常です。他大学の大学院に進学する人は少々いますが、みんな学びたいことが概ね形作られているのだと思います。振り返ってみると、私には「建築」という大きな枠組みしかなかった。ですから、研究室の活動が始まってから悩み始めたのでしょう。留学生が大半の研究室だったのですが、かなりつらかったです。研究テーマは決まらないし、ゼミ発表ではもうどうしたらいいのかわかりませんでした。

就職についても深くは考えずに、設計ができればいいなあと漠然としたものでした。実際、設計の業務に携わりたい人はポートフォリオを用意しています。用意できてもエントリーシートを書いたことと同義で、そこから選抜されていきます。日本だけでもたくさん設計をやっている人がいて、中には上手な人がいる。そんな人たちが設計実務をするのに、今の自分がどうして参画することができようか。

建築設計を学ぶ自分がまだスタートライン近くで、これから多くの人を追い抜いていこうという意気込みはあった。しかし、もっと先のことを考えず、下調べも不十分だった結果、入学早々どん詰まり状態になってしまった。

一体何をするために来たのだろう?

またB大学に戻ろうなんて全く考えもしなかった。土木をやめ、部活中心だった生活から一転して勉強に集中しようと考えていたが、久々に(とはいっても1,2か月程度)部活に顔をだし、A大学の部活の友人が引退した今でも後輩の面倒をみているのを見ていくうちに、自分も戻りたいなあを思った。なによりこのままこの研究室にいることが不可能だと思った。就職のことも考えると、途中で挫折するよりも早いうちに見切りをつけ、元の研究室に戻ってしっかりやろうと思いました。

正直、「逃げた」という言葉を拭いきれない。ひょっとしたら頑張れたかもしれない、英語が上手くなったかもしれない、そんな考えが浮かぶときもときどきありますし、去年の自分に伝えてやりたくなるような後悔も生まれます。遠回りする結果になっても、今の自分は一昔のように読書をするようになったり、土木の魅力にも少しずつ気づけている。こんな失敗が就活じゃなくてよかった。浪人はなしの約束だったが、結果的に浪人のような形になってしまい両親に迷惑をかけてしまうと同時に、両親に感謝できるようになった。建築の勉強も少しずつやっています。昔読まなかった分、今は本を読んでいます。就職のことも考えられるようになりました。悩み続けた2ヶ月を無駄にしないように将来をしっかり考えていこうと思います。そのためにも今は2回目の院試勉強を頑張ります。絶対に落ちるわけにはいかないので(笑)。

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